昨日は仕事がうまくいって、少し安心していた。
「なんとかなるかもしれない」
そんな気持ちで一日を終えたはずなのに、今日になったらまた不安が押し寄せてくる。
浮かれている場合じゃないぞ。
今からちゃんと考えておかなくちゃ、来年が大変だぞ。
――ほら、始まった。
頭の中で、思考が遠慮なく不安を煽ってくる。
「このままでいいのか」
「どうするんだ」
思考、いわゆる左脳さんが、容赦なく問いかけてくる。
でも、ふと思った。
この思考って、本当に“自分”なのだろうか。
思考は、脳が勝手に紡ぎ出しているものだ。
心臓が勝手に鼓動を打つように、呼吸が自然に続くように。
それ自体は、ただの機能にすぎない。
必要なときに、意識がそこに同調して使っているだけ。
すでにそこにあった思考に、あとから「わたし」という主語をくっつけている。
ただ、それが癖になっている。
タイムラグもなく同調してしまうから、
いつの間にか「これは私の考えだ」と思い込んでしまう。
でも、本当は――
思考しているのは脳の働きであって、
“わたしそのもの”とは、少し距離があるのかもしれない。
たとえば、こんな流れだ。
脳の思考はこう言う。
「景気が悪くなって、仕事がなくなりそうだ」という他人の話を聞いた。
すると左脳さんが続ける。
「自分も来年、仕事量が激減するかもしれない」
「一年前から準備しておけばよかった」
「今からじゃ遅いよな」
「なんてダメなんだ……」
脳が拾った情報に、感情を乗せ、
主語をつけて、何度も何度も繰り返す。
まるで“自分事”であるかのように。
しかも、思考が扱うのは決まって「今」じゃない。
過去か、未来だ。
将来の不安は、まだ来ぬ「未来」の話。
昨日の嫌な出来事は、もう終わった「過去」の話。
今この瞬間には、
ただ椅子に座って、こうして考えている自分がいるだけなのに。
昨日は安心して、
今日は不安になる。
それだけのことなのかもしれない。
思考が波のように寄せては返しているだけ。
そう思えたとき、
不安は消えなくても、少し距離ができた気がした。
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