結局、やったことしか残らない。動いた記憶だけが自分を支えてくれる

日々の気づき

最近、ふとした瞬間に気づいたことがあります。
それは、「考えたことより、やったことのほうが記憶に残る」ということ。

あのとき、どれだけ迷ったか、どれだけ悩んだか――
それよりも、「結局どうしたのか」のほうが、はっきりと残っているのです。

思っていただけの時間は、どこか曖昧

「やろうか、やめようか」と考えていただけの時間。
「行こうかな、どうしようかな」と迷っていただけの時間。
そのときは真剣だったはずなのに、時間がたつと、なぜ悩んでいたのかさえ思い出せないことがあります。

頭の中だけで完結したことは、跡がつかない。
足跡のように残るのは、「動いたこと」「やったこと」だけなんですよね。

やってみたからこそ、記憶になる

先日、ひとつだけ気になっていた用事を「えいっ」と片づけました。
面倒だな…と思っていたけれど、やってみたら5分で終わった。
やり終えたあとの「ああ、スッキリした」という実感。
そして、「やってよかったな」という感覚は、しっかりと心に残っています。

たとえ結果がイマイチだったとしても、
「あのとき自分なりに頑張ったな」と思えることって、
なんだかんだで自分を支えてくれる気がします。

行動は、未来の自分へのプレゼント

過去の自分を振り返ると、「あのとき動いてよかった」と思うことばかり。
逆に、「やらなかったこと」「先延ばしにしたこと」は、
思い出すたびに少しだけ、チクッと後悔します。

未来の自分を軽くしてあげられるのは、
今日の小さな一歩なんだと、ようやく腑に落ちてきました。

「ちゃんとできた」じゃなくていい

「やったことしか残らない」と言っても、
完璧にやる必要なんてないと思っています。
途中でやめたっていい。形にならなくてもいい。
「自分なりにやってみた」ことが、ちゃんと“記憶”になるから。

「動いた」「やってみた」「踏み出した」
その事実だけで、十分だと思うのです。

まとめ:迷っても、ちょっとだけ動いてみる

人生は、「行動したことの積み重ね」でできている。
たとえ些細なことでも、やったことだけが日々に刻まれていく。

今日のわたしは、どんな一歩を残そうかな。
――そんなふうに思えるだけでも、昨日より前向きな気がしています。

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