「声が小さい人」として生きてきた私の話

暮らしの中の気づき

私は昔から、声が小さいと言われてきました。 正確に言うと、「通りにくい声」なのだと思います。

普通のトーンで話しているつもりなのに、聞き返されたり、気づかれなかったりする。 そんなことが何度もあって、少しずつ、人前で話すことに自信が持てなくなっていきました。

呼んでも、気づかれないという経験

たとえば、ざわざわした飲食店で店員さんを呼ぶとき。 何度「すみません」と言っても、反応がない。 すぐ近くの人が一声で呼び止められるのを見て、「あ、自分の声って届かないんだな」と思い知らされる。

そういう経験が重なると、声を出すこと自体におっくうさを感じてしまいます。 そして、「どうせまた聞こえてないんだろうな」と思いながら、ますます小さくなる。

悪循環ですよね。

声の大きな人に圧倒されてしまう

そして、私が苦手なのが“声の大きな人”です。

ハキハキ、ハッキリ、堂々と話す人。 もちろんそれは、その人の良さでもあると分かっています。 でも、自分とはまるで正反対で、まぶしすぎるように感じてしまうことがあるんです。

特に、多くの人の前で話すときや、意見を求められる場面。 声の大きな人が次々に発言するのを横目に、私はただ黙ってしまう。

「声が通らない」という身体的な感覚が、まるで「意見がない」「やる気がない」と思われてしまうようで、それもまたつらかったです。

声の大きさ=自信の大きさ?

世の中には、こんなイメージがある気がします。

  • 声が小さい人=気が弱い
  • 声が大きい人=自信に満ちている

でも、それって本当でしょうか?

声が小さいからといって、意志がないわけじゃない。 逆に、声が大きいからといって、すべてに自信があるとも限らない。

声の大きさって、単なる“音量”だけでは測れないものだと思うのです。 生まれつきの身体的な特徴だったり、生活環境だったり、その人なりの事情があるはずです。

この声も、私の一部として受け入れる

今でも、私は大きな声を出すのは苦手です。 でも、「だから自分はダメだ」と思うことは、少なくなってきました。

聞き返されることもあるけれど、相手が聞き取りやすいようにゆっくり話してみたり、 声以外の表現――たとえば文章や表情、しぐさなど――に頼るようになったり。

そうやって、自分なりに“伝える方法”を探してきた気がします。

「通りにくい声」もまた、私の一部。 無理に変えなくてもいい。

それを受け入れたとき、ようやく自分の言葉に、少しだけ自信が持てるようになった気がします。

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