私は生まれつき、痩せていました。
保育園、小学校、中学校、そして高校。環境が変わるたびに、その痩せた体型をからかわれ、あだ名のように呼ばれ続けてきました。
それがずっと嫌で、コンプレックスで、「どうにかして普通になりたい」と思い続けてきました。太りたい。でも「太る」といっても、いわゆる「ふくよか」ではなくて、「人並みの体重になりたい」というのが本音でした。
食べても太らない体質は、多くの人からすれば「うらやましい」と言われるかもしれませんが、私にとってはずっと悩みのタネだったのです。
やっと「人並み」になれたと思っていたのに
それから何十年も経ち、私は標準体重に近づきました。
毎日の生活のなかで、特に何かを意識していたわけではないけれど、気づけば「やっと人並みになれた」と感じられるようになっていたのです。うれしかった。少し誇らしかった。
そんなある日、1年ぶりに高校時代の同級生と再会する機会がありました。
私の心の中には、「久しぶりに会ったら“健康そうになったな”って言われるかもしれない」という期待がありました。
でも、出てきた言葉は、まったく逆でした。
「またやせ細って、大丈夫か?」
一瞬、耳を疑いました。いやいや、当時より15キロ近く体重は増えているのに。
私は慌てて「そんなことないよ」「今は標準くらいなんだよ」と説明しました。でも、その言葉は届かなかったようで、相手はふんふんと聞き流しているような反応。
そのあと、なんとも言えない気持ちになりました。空しさと残念さが交錯する、あの独特な感覚。
印象って、変わらないものなんだろうか
あとから冷静になって考えてみると、その人にとって私はずっと「痩せていた人」なのだと思います。
学生時代のイメージって、ある意味で“固定化”されやすいのでしょう。そして、あだ名や第一印象は、その人の中にずっと残っていて、何年経ってもアップデートされないままなのかもしれません。
本人に悪気はなかったのかもしれません。だからこそ、余計にズシンときました。
「それ、いま言う?」
そんな言葉が、喉元まで出かけて、でも飲み込んだのを覚えています。
他人の目と、自分の感覚のズレ
その出来事を通して思ったのは、他人の目にどう映るかは、自分ではコントロールできないということ。そして、自分が自分のことをどう捉えるかが、何よりも大切なんじゃないかということです。
もし、これが逆の立場だったら?
太っていた人がダイエットを頑張って、「やっとここまで来た」と思っていた矢先に「また太ったんじゃない?」と言われたら。
きっと、すごくつらいですよね。その気持ち、わかります。
私も似たような経験をしたから。
人って、目に見える変化ばかりに注目しがちですが、その奥にある「本人の努力」や「気持ちの変化」には、なかなか目が届かないものなんだと思います。
だからこそ、自分自身だけは、ちゃんとわかってあげたい。
今の私は、もう昔とは違う。
そう言えることが、少しずつ自分を肯定できる第一歩なのかもしれません。