気づけば、私はまたひとりで頭を抱えていた。
考えても考えても、どうにもならないことで心がぐるぐると疲れていく。
でも、ふと立ち止まって思ったのです。
「これって、ほんとうに“自分の悩み”なんだろうか?」
共感しすぎて、気づけば一緒に悩んでる
誰かが困っているとき、つらそうにしているとき、
私はその人の話を聞いて、つい感情まで引き受けてしまうところがあります。
家族、友人、職場の人、誰であっても。
たとえば、
「子どもが進路で悩んでいる」と話す友人に、
自分の子どものように「どうしてあげるのがいいんだろう」と悩んでしまったり。
「夫との関係がうまくいかなくて」と吐き出した家族の話に、
まるで自分が当事者かのようにモヤモヤしたり。
でも、よくよく考えると、
その問題の“本当の当事者”は自分ではないんですよね。
心配と「巻き込み」の境界線
「心配すること」と「抱えこむこと」は似ているようで、少し違います。
相手のことを思って気にかけるのは優しさですが、
そのまま“自分の課題”のように思い込んでしまうと、
いつのまにか、自分の心が疲弊してしまう。
それに、悩んでいる本人にしてみれば、
自分の中で整理をつけようとしている最中なのかもしれません。
そこにこちらが“勝手に共鳴しすぎる”と、
本来は必要のない心配やアドバイスをしてしまうこともあります。
自分の荷物だけでも、けっこう重い
私たちは、それぞれ自分の人生を生きています。
つまり、自分の荷物を持って歩くだけでも十分にがんばっているんですよね。
他人の悩みに共感するのはとても優しいこと。
でも、その優しさが“自分を責める苦しさ”に変わってしまうのなら、
ときにはそっと「これは誰の悩みだったかな」と確認してみることも、大切かもしれません。
「いま悩んでるこれは、本当に自分のこと?」
もし今、気が重くなるような考えが頭を占めていたら。
自分に問いかけてみてください。
「これは、私が解決しなければならないこと?」
「それとも、誰かの課題に“つられて”しまっているだけ?」
その答えが出たとき、きっと少しだけ心が軽くなるはずです。
「誰かのことを思って悩んでいた自分」を、責めないであげてください。
その優しさがあったから、あなたはその人のそばにいられたのだから。
おわりに
「悩むこと」は悪いことではないと思います。
でも、“自分の悩み”と“他人の悩み”の境界線を知ることは、
心を守る大切な知恵だと私は思います。
ときには、誰かの悩みをそっと置いて、
自分の心の荷物だけを見つめてみる時間を持ってみたいものです。