一日の終わり、ふと「これでよかったのかな」と考えてしまう日があります。
頑張った実感もないし、何かを成し遂げたわけでもない。
人と比べて自信をなくしたり、やるべきことを先延ばしにした自分にモヤモヤしたり。
「これでいいのかな」
そんなふうに思ってしまうと、なんだか今日という一日が“失敗”だったような気がしてしまうけれど、
最近になって、私はちょっとだけ見方が変わってきました。
もしかすると、「これでいいのかな」と迷った日こそ、自分が一番、自分に向き合っていた日なのかもしれない。
この記事では、そんな感覚を大切にしながら、
“確信が持てない日”をやさしく抱きしめるような視点で、ことばを綴ってみたいと思います。
うまくいっているわけでもない、でも止まってはいない日
なんとなく気が乗らなかったり、特に達成感もないまま一日が終わることってありますよね。
予定はこなしたはずなのに、どこか中途半端な気分。
SNSを開けば、誰かが成果を出していたり、充実した時間を過ごしていたりして、
自分だけが“なんとなく過ごしてしまった”ような気がして、ため息をつく。
でもそんな日だって、ちゃんと生きていたし、呼吸もしていた。
もしかしたら、自分でも気づかないうちに、ちゃんと動いていた心や身体の小さな努力が積み重なっていたのかもしれません。
-
無理に誰かに合わせなかった
-
一人で過ごす時間を大事にした
-
あえて頑張らずに、休むことを選んだ
それって、見た目にはわかりにくいけれど、“止まっていた”のとはちょっと違うんじゃないかと思うのです。
うまくいったとも言えない日だけど、
「何もしてないわけじゃない」って、自分でそっと認めてあげること。
その感覚を持つだけで、少しだけ肩の力が抜ける気がします。
「これでいいのかな」の中には、ちゃんと前に進んでいる自分がいる
「これでいいのかな」と思う日って、なんだかモヤモヤしていて、答えが出ないことが多い。
選んだ道に自信が持てなかったり、何かを始めたのに途中で止まっていたり。
一見すると、迷ってばかりで立ち止まっているようにも感じてしまいます。
でも、そんなふうに“立ち止まって考える”って、実はすごく前向きな動きなんだと思います。
何も感じずにただ流されるように過ごすより、
「このままでいいのかな?」と自分に問いかけることって、
自分の在り方や向かいたい場所を、ちゃんと見ようとしている証拠だから。
たとえば、
-
この選択でよかったのか悩んでいる
-
今の環境が自分に合っているか不安になる
-
本当にやりたいことが見えなくなる
そうやって悩んでいるときって、言い換えれば「よりよく生きたい」と思っているからこそ。
迷いの中にいる自分を、ちゃんと前に進もうとしている姿だと認識できたら、
少しだけ心の重たさがやわらぐかもしれません。
「これでいいのかな」と問いかけたその瞬間、
もうすでに自分は、ひとつ前より先に進んでいる。
そう思えるだけで、今日という日がちょっと意味のあるものに変わっていく気がします。
迷いながら過ごした日こそ、自分にとっての節目だったりする
振り返ってみると、「これでいいのかな」と悩んだ日って、案外よく覚えているものです。
はっきりした出来事があったわけではなくても、
心の中でもがいたり、立ち止まって考え込んだりした時間は、どこか特別な重みを持って残っていたりします。
そして不思議なことに、そういう日を境に、
少しずつ何かが変わっていくこともあります。
たとえば――
-
すぐに答えが出なかったけど、数日後ふと気持ちが定まった
-
一度あきらめかけたことに、もう一度チャレンジしようと思えた
-
自分の本音に気づいたことで、別の選択が見えてきた
そのときは苦しくても、「迷った時間」そのものが、変化の入口になっているんですよね。
迷いは不安の象徴のようにも見えるけれど、
本当はそれだけ“真剣に生きようとしている証”でもある。
そして、そうやって悩んだ日があったからこそ、
後から「この方向でよかったかも」と思えるようになることだってあるのです。
迷いながら過ごした一日を、“無駄だった”と切り捨てないで、
むしろ「自分を知るための通過点」だったんだと受け止めてあげられたら、
その日がじんわりと、意味のある一日に変わっていくんだと思います。
「正解」はあとからわかる。今は“ちゃんと悩んでる自分”を信じてみる
「これでよかったのかな」と思うとき、私たちはつい“正解”を求めたくなります。
「こうしておけば間違いじゃなかった」と思える道を探して、
過去の選択や今の状況に、確かな意味づけをしたくなる。
けれど実際のところ、正解なんてすぐにはわからないものです。
むしろ、時間が経ってからようやく、「あのときの選択が自分に合っていたんだな」と気づくことのほうが多い。
何かを選んだあとに悩むのは、その選択にちゃんと向き合っている証拠です。
「これでよかったのかな」と何度も問い直すのは、
ただ揺れているのではなく、よりよく進みたいと願っている気持ちがあるからこそ。
大切なのは、正解を今すぐ見つけることではなくて、
“今、ちゃんと悩んでいる自分”を信じることだと思います。
たとえば、ぐらつきながらも前に進んでいる足取りとか、
自信がなくても一つひとつ考えようとしている気持ちとか。
それこそが、あとから「自分を信じてよかった」と思える土台になるのではないでしょうか。
正解は、きっと少し先の未来で見えてくる。
今はただ、そのために迷っていること自体が、もう前進なんだと、
そんなふうに思えたら、今日の「これでいいのかな」も、大切な問いになる気がしています。
まとめ:今日の自分を疑った日が、明日の自分を支えることもある
「これでいいのかな」と感じた日は、なんだか自信が持てなくて、
少しだけ自分にがっかりしてしまったり、立ち止まってしまったりするものです。
でも、そんな日にちゃんと立ち止まって考えたからこそ、
後になって気づけることや、選び直せることがあったりします。
思いきり前を向いて進める日ばかりじゃないけれど、
疑ったり、悩んだり、迷ったりする時間も、
ちゃんと**明日の自分の背中を支えてくれる“道のりの一部”**なのだと思います。
「これでいいのかな」と問いかけるたびに、
私たちは少しずつ、自分を知って、自分の形をつくっているのかもしれません。
だから、そんな日があったら、それだけで意味がある。
今日という日に確信が持てなかったとしても、
それを抱えて過ごした時間ごと、大切にしてあげていいんだと思います。