なんだかモヤモヤしたあの日
「普通だったら、礼のひとことくらい言うでしょ…」
先日、そんな風にモヤモヤした気持ちを抱えて眠れなかった夜がありました。
ちょっとしたことだったんです。
誰かのために時間を割いて動いた。
自分としては、思いやりを込めてやったつもり。
でも、返ってきたのは無言、あるいはあっさりした態度だけ。
お礼が欲しくてやったわけじゃない。
でも、「ありがとう」のひとことがあったら、気持ちは全然違っていた。
むしろその一言がなかったことで、心にざらっとしたものが残ってしまったのです。
腹が立ったのは、「期待」してたからかもしれない
人に親切にしたり、何かをしてあげたとき、私たちはどこかで「それなりのリアクション」を期待してしまいます。
「感謝してもらえるはず」
「ちゃんと伝えてくれるだろう」
「自分だったら、そうするから」
それが裏切られたとき、怒りが生まれます。
「無神経だな」
「人としてどうなの?」
…と相手を責めたくなるのですが、その根っこにあるのは、自分の中の“期待”なのかもしれません。
期待してなければ、そこまで腹も立たないはず。
でも、自分では気づかないうちに「こうあるべき」が膨らんでいた。
その分、ガッカリしたり、悲しくなったりするんですよね。
本当は、認めてほしかっただけ
怒りの奥をのぞいてみたら、寂しさがありました。
「自分の気持ちをわかってほしかった」
「がんばったことに気づいてほしかった」
そのまま伝えるのは照れくさいから、代わりに「ありがとう」が欲しかった。
それが言葉にならなかったから、満たされずに終わってしまった。
……そんな風に、後から気づくこともあります。
相手に悪気はなかったとしても、こちらの気持ちが満たされないときはあるんですね。
それをずっと引きずると、自分も苦しくなってしまいます。
「ありがとう」がもらえなくても、私はよくやった
そんな夜は、自分にこう言ってあげようと思います。
「言われなかったけど、私はちゃんと気づいて動いたよ」
「私の中では、それだけで充分、よくやった」
他人の言葉や態度が、自分の行動の価値を決めるわけじゃない。
「ありがとう」がもらえなかったからといって、私の思いやりが消えるわけじゃない。
そう思えたとき、少し心が軽くなるような気がしました。
もちろん、相手に感謝の気持ちを伝えてもらえるのはうれしいし、次からは期待してしまうかもしれません。
でも、思った通りの反応が返ってこなかったときも、自分を責めすぎないように。
そして、相手のことも責めすぎないように。
「ありがとうって言われたかっただけなのに」
その気持ちを、そっと自分で受け止めてあげられたら、きっとやさしくなれる気がします。