「楽しみたいのに、楽しめない」心がブレーキをかけるとき ふとした瞬間に浮かれる自分がいる。でも…

心を整える時間

何かいいことがあったとき。
誰かとの会話が弾んだとき。
嬉しいことがあって、つい顔がほころぶ――でも、次の瞬間、心のどこかがそっとブレーキをかける。

「こんなに浮かれていたら、そのうち何か悪いことが起きるかもしれない」
「後でガッカリするなら、今のうちに抑えておこう」

そうやって、自分の楽しさや嬉しさを、自分で取り消してしまう。そんな自分がいます。

直さなきゃ…とは、思わない

この思考のクセが「損」だということも、ちゃんとわかっています。
でも、それでも「直そう」とは思えません。思わないのです。

なぜなら、このクセは自分がこれまで何かに傷ついてきた経験から生まれた、大切な「防衛本能」だから。
喜びすぎてあとで落ち込むくらいなら、最初から浮かれないほうがマシ。
自分を守るために、心が先回りして動いているのだと、頭では理解している。

楽しそうにしている人を見ると、羨ましい。でも…

外から見える「楽しそうな人」。
いいなぁって思う。羨ましいって思う。

でもどこかで「自分には無理だ」とも思っている。
自分とは違う人。自分とは違う世界。
他人事のように感じながらも、実は「そうなりたい」という小さな気持ちが、心の奥でくすぶっている。

自分の中にある矛盾。
「楽しみたい自分」と「楽しめない自分」が、心の中でぐるぐると回り続ける。

正しさより、リアル

「それは考えすぎだよ」と言われたこともある。
「もっと気楽に楽しめばいいのに」と言われたことも。

たしかに、そうなのかもしれない。
でも、「気楽」って、誰にとっても同じ形じゃない。
楽しみ方だって、人それぞれ。

「楽しめない自分」も、「楽しみたいと願う自分」も、どちらも本当の自分。

無理に変えない。無理にポジティブにならない。

「ポジティブ」や「前向き」という言葉は嫌いだということに気が付いた。

その根底には「他人が信じられない」「裏切られる」だから「人間嫌い」がある。

ずっと今のまま・・・だろうな

無理にポジティブになろうとしても、空回りするだけ。
「楽しめないなら、それでいいじゃん」って言える日がくればいいけど、
今はまだ、そこまで強くない。

なんの答えも出てない。
出すつもりもない。
たぶん、こうして書いたって、明日にはまた同じことでぐるぐる悩む。

「楽しみ」より「将来の不安」が勝っている。

タイトルとURLをコピーしました