傷ついた心に届かない言葉
たとえば、誰かに強く否定されたとします。
心にズシンと刺さるような言葉で、自分の存在や価値を疑いたくなるような一言。
そんな苦しい思いを抱えて、信頼している人に相談したときに返ってきた言葉が――
「そんなの気にするなよ」
「気にしない、気にしない」
いま、自分はナイフのような言葉に刺され、心の中では血が止まらない状態。
そんなときに言われる「気にするな」は、絆創膏にもならないどころか、
「ああ、この人にはこの痛みは伝わらないんだ」と、もう一度突き放されたような気持ちになります。
「気にしないで」という人の心理
では、「気にしないで」と言う側の人の気持ちはどうでしょうか。
多くの場合、それは相手を励ましたい、軽くしてあげたいという善意から出ている言葉です。
「そんなこと気にすることないよ、あなたはあなたでいいんだよ」と、言外に込めていることもあります。
ただ、それがうまく伝わらない。むしろ、その場を早く終わらせようとする“他人事”の響きになってしまうことも少なくありません。
本当は「気にするな」ではなく、
-
「それは辛かったね」
-
「よく話してくれたね」
-
「そんなことを言う人が間違ってるよ」
という、相手の痛みに寄り添う言葉が必要だと思います。
「気にするな」と言われた側の心理
一方、「気にするな」と言われた人は、心の中でこう感じています。
-
「そんな簡単に割り切れたら、もう気にしてないよ」
-
「あなたにとっては小さいことかもしれないけど、私には大きな傷なんだよ」
-
「わかってくれてないんだな……」
「気にするな」は、心の痛みに蓋をしろと言われたように感じる言葉でもあります。
相談してよかったのか、間違っていたのか、悩みさえ打ち明けられなくなる。
結果として、心はさらに孤独になります。
本当に必要なのは、気にしないことではなく「気にしていい」という許し
私たちが誰かを支えたいとき、本当に届けたい言葉は「気にしなくていいよ」ではなく、
「気にしてもいいんだよ。あなたがどう感じたかが大事なんだ」という感情の承認なのかもしれません。
気にして、傷ついて、それでもここにいる――
その人の存在を、感情ごと受け止めることができたら、
言葉はもっとやさしく、力強くなるはずです。
まとめ
「気にするな」「気にしないで」という言葉は、一見やさしく、便利な言葉です。
けれど、その奥には言葉のすれ違いが潜んでいます。
-
言った側は励ましのつもり
-
言われた側は突き放されたように感じる
大切なのは、相手が何に傷つき、どこに立ち止まっているかをちゃんと見ようとすること。
そして、たとえ何もできなくても「あなたの気持ち、わかるよ」とそばにいられること。
言葉の力は、無力に見えて、心を包むぬくもりにもなれるのです。