「しあわせ」の定義は、自分で決めていい

ことばのノート

「しあわせって何だろう?」
ふとした瞬間に、そんな問いが頭に浮かぶことはありませんか。
たとえば、SNSに流れてくる「誰かのしあわせそうな日常」を見たとき。
あるいは、自分の生活が少し物足りなく感じる夜。

でも、しあわせの形って、人それぞれ。
それを「比べてしまうこと」から解放されたとき、見えてくるものがあります。

今回は、「しあわせの定義は自分で変えていい」というテーマで、
誰かの“ものさし”ではなく、自分の“しあわせ”を見つけていく過程を、
ことばを通して、やさしく紐解いていきます。

自分の「しあわせ」を、誰かと比べてしまうとき

わたしたちは日々、たくさんの情報に囲まれて生きています。
友達の旅行写真、知人の結婚報告、成功した人のインタビュー。
目に入ってくるのは、キラキラとした“他人のしあわせ”。

それを見るたびに、こんなふうに思ってしまうことはないでしょうか。
「自分は、あそこまで満たされてないかも」
「比べるのは意味がない」とわかっていても、心がざわつく。

でも、その“ざわつき”に気づける自分は、ちゃんと繊細に生きている証。
それは悪いことではなく、自分にとっての「しあわせの基準」を
見直すタイミングかもしれません。

誰かの「しあわせ」は、あなたの「しあわせ」とは限らない

「理想のライフスタイル」や「成功のカタチ」は、
雑誌やSNSの中にたくさん並んでいます。
でも、それはあくまで“その人の価値観”がつくったしあわせ。

大きな家を持つことや、高収入の仕事に就くこと、
パートナーがいることや、友人に囲まれていること。
そういったものを「自分も手に入れなきゃ」と思ってしまうのは、
どこかで“正解”のように感じてしまっているから。

けれど、本当に心が満たされるのは、
自分が「ほっとする」と思える瞬間をちゃんと知っているとき。
たとえそれが、静かな喫茶店でのひとときや、
朝起きて飲むあたたかいお茶でも、それでいいのです。

「小さな満足」が、自分だけの「しあわせ」の輪郭を描いてくれます。

「しあわせ」をことばにしてみると、見えてくるものがある

「しあわせって何だろう?」
そうやって自分に問いかけてみても、
答えはすぐには出てこないかもしれません。

でも、「これって、なんか幸せだったな」と思う瞬間を
ひとつひとつ、ことばにしてみると──
その“輪郭”が少しずつ見えてくることがあります。

たとえば
「日なたに干したふとんの匂いが好き」
「誰にも急かされずに過ごす日曜の朝が好き」
「誰かに『ありがとう』って言ったあと、心がふわっとした」
そんなことばが並んでいくと、
それはもう“あなたのしあわせの地図”になっているんです。

ことばにすることで、自分にとっての“やさしい時間”や
“たいせつな感覚”に気づけることもあります。

誰かに見せるためじゃなく、自分のために。
一度、自分のしあわせを言葉にしてみませんか?

「比べないしあわせ」を育てる

つい、他の人と比べてしまうことってありますよね。

友達のSNSを見て
「楽しそうだな」「キラキラしてるな」と感じたり、
誰かの活躍や成功を見て、
「自分はまだまだだ」と落ち込んだり──。

でも、それって本当に「比べる必要」があるのでしょうか?

誰かのしあわせは、その人のもの。
そして、あなたのしあわせは、あなただけのものです。

それぞれ違う環境で、違う価値観をもって、
違う歩幅で生きている私たちが、
同じゴールを目指す必要なんてないんです。

「今日は、心が軽かった」
「おいしいって思えるごはんを食べた」
「何もないけど、なんだか落ち着いている」

そんなふうに、自分の感じたしあわせに気づき、
比べずに「これでいい」と思えることは、
とてもやさしく、強いことだと思います。

まとめ

「しあわせ」って、誰かが決めるものじゃない。

誰かと比べて感じる優越感や劣等感ではなく、
自分が「いいな」と思える瞬間こそ、
本当に大切にしたいしあわせの形。

完璧でなくてもいい。
他人から見てすごくなくてもいい。
むしろ、自分の感覚に正直になって、
「これが私のしあわせ」と言えることが、いちばんの豊かさ。

あなたのしあわせは、あなたが決めていいんです。
小さくても、自分だけのしあわせを、そっと抱きしめて。

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