「ある」に目を向けたら、世界が少し変わった気がした
「ない」「足りない」「もっと欲しい」
そんな気持ちは誰の中にもあると思います。
でもあるとき、ふと気づいたんです。
“欲しいと思っているもの”ではなく、
“すでにそこにあるもの”に目を向けてみたら、
なんだか心がふっと軽くなったような気がした、と。
「ない」を数えるクセ
たとえば、豊かになりたいと思ったとき。
手元の財布を見ては、「今月も余裕がないな」
通帳を開いて、「もっと貯金があれば…」
SNSを見て、他人の生活と比べては、「なんで私は…」
気づけば「ない、ない、ない」を数えてしまっている。
そうすると、願うことすら重たくなって、
本当にほしい未来さえ、遠くぼやけて見えてきます。
「ある」に触れてみる
そんなとき、小さな行動をしてみました。
お気に入りの布の手触りをゆっくり味わってみる。
アクセサリーの小箱を開いて、
光にきらめくひとつを指先で眺めてみる。
ほんの少し、気持ちが上向いて、
なんだか「今の私、けっこういいかも」と思えた。
そうなると、不思議なことが起きてきます。
出かけた先でふと目に入る、
いつもと違うディスプレイ。
「ちょっと覗いてみようかな」という気持ち。
立ち寄ったカフェの椅子がふかふかで、
それだけで豊かさを感じること。
「ある」に意識を向けると、
それに似た風景が、日常の中に増えていく気がするんです。
「ある」は感覚の入り口
大きな願いは、すぐには叶わないかもしれません。
でも、今この瞬間に触れられる「あるもの」を
ひとつ、じっくりと味わうことはできる。
たとえそれが、
ガチャガチャで出た金メッキのリングでも、
フリマで見つけた200円のブラウスでも、
誰かに褒められた記憶でも。
それは「ある」の感覚を、
この手のひらに戻してくれる小さな種のようなもの。
「ない」から始めるのではなく、「ある」から始めてみる
私たちはよく、「ない」から願いを立てようとします。
「足りないから、ほしい」
「持っていないから、変わりたい」
でも、目の前の「ある」に目を向けてみると、
すでに始まっていたものに気づくことがあります。
流れはそこから生まれてくるのかもしれません。
今日のそら色
ないものを探すよりも、
今ここにあるものに触れたとき、
空の色が少しだけ優しく見えました。