“なんて”ということばが、やさしくも切なくもなる理由

ことばの力

「なんて」ということばが、やさしくも切なくもなる理由

ドラマ『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』を見ていたとき、あるセリフにハッとさせられました。

「言葉に罪はない。選び方と使い方がすべて」

登場人物が「なんて」ということばの多様な使われ方について語る場面で出てきた言葉です。

確かに、「なんて」というたったひと言のなかには、さまざまな感情が潜んでいます。 やさしさにも、切なさにもなる。喜びにも、皮肉にもなる。 そんな“幅”のあることばに、私も不思議な魅力を感じました。

「わたしなんて…」に込められた遠慮と寂しさ

「わたしなんて…」

誰かの前でふと漏らしてしまうこの言葉には、謙遜や遠慮の気持ちがにじんでいます。 でもその奥には、自信のなさや、受け入れられないかもしれない不安が隠れていることも多い気がします。

ときには、“誰かに否定される前に、自分で身を引く”ような防衛反応にも見えます。

聞いた人は「そんなことないよ」と返すかもしれません。 でも、繰り返されると「わたしなんて」と言った人自身が、自分で自分を少しずつ小さくしてしまうようにも思えます。

「なんて素敵なことばでしょう」──心からの共感

一方で、同じ「なんて」がまったく違う表情を見せることもあります。

「なんて素敵なことばでしょう」

これは、感動の表現です。誰かの言葉や行動、出来事に対して、心が大きく揺さぶられたときに自然と出てくる言葉。

聞いているこちらもあたたかくなるような、純粋な気持ちの現れです。

同じ「なんて」でも、これは自己否定ではなく、“誰かや何かを称賛する気持ち”が詰まっています。

「なんてことない」「なんてね」──ごまかしと照れ隠し

「なんてことないよ」

この言い方には、強がりや照れ隠しがにじむことがあります。 本当は少し傷ついたのに、それを見せたくないとき。 あるいは、さりげない優しさを見せたいとき。

「なんてことない」と言いながら、その裏にある気持ちに気づける人がそばにいてくれたら、それだけで救われることもあります。

そして、「なんてね」

これは、“本音を茶化すためのことば”としてよく使われます。 好きとか、寂しいとか、助けてとか、本当は言いたいのに、素直に言えないとき。

「なんてね」をつけておくことで、自分の気持ちにちょっとした逃げ道を用意しているのかもしれません。

「なんて」の突き放すような強烈さ

『舟を編む』の中には、こんなシーンもありました。

恋人が趣味にしているカメラや写真に対して、「写真なんてあとでいいじゃん」と言ってしまったり、 辞書作りに打ち込む同僚に「辞書なんて文字が並んでるだけでしょ」と言ってしまったり。

この「なんて」は、とても強烈で、相手の大切にしているものを否定してしまう言い方でした。

その言葉が原因で恋人とすれ違い、別れてしまったり、職場の同僚を怒らせてしまう場面につながっていきます。

何気なく言った「なんて」が、こんなにも人を傷つける力を持つのかと、見ていて胸が痛くなりました。

同じ「なんて」でも、それが“軽さ”や“共感”ではなく、“突き放し”に変わるとき、人と人との距離も一気に開いてしまうのだと感じました。

「なんて」という言葉に、どんな気持ちをのせるか

こうして見ていくと、「なんて」という言葉そのものに意味があるというより、 それを“どう使うか”で、まったく別の印象になることがわかります。

だからこそ、『舟を編む』のセリフが心に残ったのです。

「言葉に罪はない。選び方と使い方がすべて」

たしかに、ことばは誰かを傷つけることもできてしまうし、救うこともできてしまいます。

でも、その責任はことば自体にあるのではなく、それを使う人の気持ちにあるのだと、改めて思いました。

今日の「なんて」に、どんな自分が見えるだろう?

私たちは日々、たくさんの「なんて」を使っています。

「なんてバカなことをしたんだろう」 「なんてしあわせなんだろう」

声に出さなくても、心の中でふとつぶやくこともあります。

その「なんて」に、今日の自分の気持ちがそのまま映っているとしたら。

どうせなら、誰かをやさしく包むような「なんて」を、選んでみたいと思いました。

 

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