最近読んだ一冊の本――
『あの人を脳から消す技術』(菅原道仁 著)の中で、とても印象に残った言葉がありました。
「人の脳は、“何もしていないとき”にいちばん働いている。」
え?と思いました。
ぼーっとしている時間って、どこか“無駄にしている”ような、
“ちゃんとしてない自分”の象徴のように感じていたから。
でも、ページをめくるうちに、その時間こそが、
脳が静かに自分を整えてくれている大事な時間なのだと知って、
なんだか少し、呼吸が深くなったような気がしました。
この記事では、そのとき知った「デフォルトモードネットワーク(DMN)」という仕組みと、
それを知ってから感じるようになった、
“何もしない時間の価値”について、わたしなりに綴ってみたいと思います。
「つながらない時間」にモヤモヤ・・・
誰かと連絡を取っていない時間、
SNSを開かないまま過ごす日、
スマホを遠くに置いたまま過ぎていく数時間――
そういう時間があると、どこかで不安になっていた時期がありました。
「何か大事なことを見逃してるんじゃないか」
「誰かに忘れられてしまうんじゃないか」
「ひとりだけ止まってる気がする」――
そんなふうに感じて、なんとなくソワソワしてしまう。
つながっていない=何もしていない=価値がない、みたいな。
今思えば、それはとても極端な思い込みだったと思います。
でも、あの頃の私は、“何もしない時間”に対して居心地の悪さをずっと抱えていたんです。
ぼーっとしていると、「ちゃんとしなきゃ」と自分に言い聞かせてしまうような、そんな毎日。
そんなときに出会ったのが、
『あの人を脳から消す技術』という本の中で紹介されていた
「デフォルトモードネットワーク(DMN)」という言葉でした。
それは、何もしていないときにこそ、脳が大切なことをしてくれているという、
ちょっと意外で、でもすごく納得できる話だったのです。
『あの人を脳から消す技術』に書かれていた、脳の“静かな活動”
『あの人を脳から消す技術』というタイトルに少しドキッとしながら読み始めたのですが、
その中で紹介されていた「デフォルトモードネットワーク(DMN)」という言葉に、私はとても惹かれました。
それは、簡単に言えば――
何かに集中していないときに、脳が勝手に働いてくれている領域のこと。
たとえば、
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ぼーっとしているとき
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空を眺めているとき
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ひとりで何となく過去や未来のことを考えているとき
そんな“何もしていない時間”に、実は脳はとても活発に働いていて、
記憶の整理や、感情の消化、自己の振り返りをしているのだそうです。
本書では、このDMNが脳のメンテナンスモードのようなものであると紹介されていて、
それを読んだ瞬間、「あ、だから“何もしない時間”が必要だったんだ」と腑に落ちたのです。
何かしていないと不安になるのは、
きっと、“何かしていない自分”に意味がないと思い込んでいたから。
でも実際には、ぼーっとしている時間にも、ちゃんと自分を整えるプロセスが動いていたんですね。
本の一節を読みながら、
私の中でずっとモヤモヤしていた感覚が、すーっとほどけていくような気がしました。
「デフォルトモードネットワーク」とは何かを、噛みくだいてみる
「デフォルトモードネットワーク(DMN)」という言葉、ちょっと難しそうに感じるかもしれません。
でもイメージとしては、“脳のぼーっとタイム”に働いているチームのようなものです。
たとえば、こんなときにDMNは働いています。
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なんとなく窓の外を眺めているとき
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お風呂でぼんやりしているとき
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寝る前に昔のことを思い出しているとき
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通勤中に、特に何も考えていないようで、頭の中はあちこち飛んでいるとき
これらの時間に、脳はしっかり動いていて、
過去の出来事を整理したり、感情を咀嚼したり、
「自分ってどうしたいんだろう?」という問いを
こっそりと扱ってくれているのだそうです。
集中モード(タスクに取り組んでいるとき)とはまったく違う回路。
でも、この“何もしない回路”が働いてくれているおかげで、私たちは気づかぬうちに自分を整えているのです。
つまり、ぼーっとしている時間は、決して「ムダな時間」ではなくて、
むしろ「心と頭を片づけるための、静かなワーク時間」。
この仕組みを知ったとき、
「何もしない時間=何もしていないわけじゃなかったんだ」と思えて、
少しだけ自分にやさしくなれた気がしました。
ぼーっとする時間は、気持ちの整理とやさしさの入口かもしれない
「ちゃんとやらなきゃ」「生産的に過ごさなきゃ」――
そんなふうに自分をせかしていた頃は、
ぼーっとしている時間を「サボってる」と感じていた気がします。
でも、デフォルトモードネットワーク(DMN)のことを知ってから、
その“何もしていない時間”が、実は自分を回復させてくれる大事な時間だったと気づきました。
静かな時間に、ふと昔の失敗を思い出して、少しだけ向き合えたり。
誰かのことをぼんやり考えて、連絡してみようかなと思ったり。
忙しい日々の中では気づけなかった「本当はどうしたい?」が浮かんできたり。
そんなふうにして、
ぼーっとする時間が、心の中をそっと片づけてくれる瞬間になっていることに気づくことがあります。
そしてなにより、
せかさず、詰めこまず、立ち止まることを自分に許すと、
自然とまわりの人にもやさしくなれる気がします。
もしかしたら、「ぼーっとすること」って、
ただの休息じゃなくて、心の呼吸のようなものなのかもしれません。
何もしていないように見えて、
実は一番大切なことをしている――
そんな時間を、これからはちゃんと抱きしめてあげたいと思うようになりました。
まとめ:何かをしないとダメ、じゃなくて。“何もしない”がちゃんと意味を持ってた
これまでの私は、
「何かしていないと、意味がない」
「誰かとつながっていないと、不安」
そんなふうに、自分を急かしながら毎日を過ごしていた気がします。
でも、『あの人を脳から消す技術』に出てきた「デフォルトモードネットワーク」の話を知ってから、
「何もしない時間」こそが、心と頭のメンテナンスになっていたことに気づけました。
ぼーっとする時間、ひとり静かに過ごす時間、
SNSを開かない時間、誰とも話さない午後――
それらは決して空白なんかじゃなくて、
自分の気持ちを整え直すための、意味のある余白だったんですね。
何もしない、の中にも、ちゃんと動いている自分がいて、
ちゃんと未来につながっている。
だからこれからは、
「今日、あまり何もしなかったな」って思う日にも、「それでいいよ」と言ってあげたいなと思います。