「あの人を、脳から消せたなら」——眠る前に思い出す“その人”とどう向き合うか

ことばの力

あの人を、脳から消せたなら

先日、「あの人を、脳から消す技術」という本のタイトルを見かけて、気がついたら注文ボタンを押していました。

読みたいと思ったというより、「これだ」と思ったのかもしれません。買おうかどうか迷う間もなく、指が勝手に動いていたのです。

それはきっと、自分の中に「消してしまいたい誰か」がいるからなのでしょう。

眠る前、突然あらわれる「あの人」

忘れたつもりでいても、ふとした瞬間に現れることがあります。 特に、夜。電気を消して、まぶたを閉じて、さあ眠ろうとするそのとき。

遠い記憶の中から、輪郭だけがくっきり浮かび上がってきます。 言われたこと、されたこと、そのとき自分がどう感じたのか。 全部、昨日のことのようにリアルによみがえってきます。

本当はもう関係のない人です。距離だってありますし、時間も経っています。 なのに、どうしていまさら?

そんなふうに心がざわついて、眠れなくなってしまいます。

「忘れたいのに忘れられない」という矛盾

頭ではわかっているのです。もう過去のことだと。自分にとって害になるだけだと。

それでも、感情は追いつきません。納得できていない自分がいます。

許せなかったのか、悔しかったのか、悲しかったのか。 そのときの気持ちにちゃんと向き合わないまま、時間だけが過ぎてしまったのかもしれません。

「あの人」は現実にはいません。 でも、記憶の中のその人は、いまも生きています。まるで自分の一部のように、頭の中で勝手に動き回ります。

「気にするな」は最悪のアドバイス?

この本の序盤に、「『気にするな』は最悪のアドバイス」という小見出しがありました。

確かに、誰かに「あまり気にしないほうがいいよ」と言われたことは何度もあります。 優しさで言ってくれているのはわかりますが、不思議と、その言葉を聞いた瞬間から、逆に気になってしまうことがあるのです。

脳は「気にするな」と言われると、“気にしていること”に意識を向けてしまうそうです。 言葉として口に出した時点で、それはもう「考える対象」になってしまうのだと知りました。

この仕組みを知ったとき、妙に納得してしまいました。

「気にするな」と言われるよりも、「気になるよね」「それは仕方ないよ」と言ってもらえたほうが、かえって楽になることもあります。

結局、「気にしてしまう自分」を否定せずに受け止めることからしか、前には進めないのかもしれません。

消す、というより「遠ざける」

まだ本の中身は読みきれていませんが、 「忘れよう」とするほど思い出してしまうのが人間らしいのだと思います。

無理に消すのではなく、少しずつ遠ざける。 思い出しても、心が大きく揺れないようにする。

たとえば、思い出してしまったときは、 「あ、また来たな」とひとこと声をかけてみる。 それだけでも、自分の気持ちが引きずられすぎないことがあるのです。

感情って、押し込めると膨らみますが、見てあげると静まることもあります。

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「その人」が自分を苦しめないように

完全に消し去ることができなくても、 その人の影が、自分の今を濁さないようにすることはできるかもしれません。

本を読みながら、そんなふうに感じています。

記憶は消せません。 でも、それをどう扱うかは、自分で選べます。

思い出してもいい。ただ、その思い出に飲み込まれないように。

「あの人」に振り回される夜から、少しずつ抜け出せたなら。 それだけで、ずいぶん眠りやすくなる気がしています。

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