「あの人、最近見ないね」から始まる、ささやかなつながりの話

暮らしの中の気づき

 ふと気になった、あの人のこと

毎朝、すれ違っていた犬の散歩のご夫婦。
ゴミ出しのときにいつも手を合わせてくれたおばあさん。
特に言葉を交わしたわけでもないけれど、顔なじみとして当たり前のように存在していた人たち。

ある日、ふと気づく。「あれ、最近見ないな…」

何かが欠けたわけじゃないのに、日常の風景の中に“ぽっかりと空いたスペース”があるような感覚になることがあります。

 顔は知ってるけれど、名前は知らない関係

名前は知らない。会話もしたことはない。
でも、そこにいるだけで「この場所の一部」だと感じていた人。
そういう関係って、都会でも田舎でも、意外と多いものです。

挨拶ひとつ交わさなくても、目が合えばなんとなく微笑む。
それだけで、「お互い無事でいるな」と感じられる。
そんなご近所さんとの距離感が、案外、安心感をくれていたことに気づかされます。

 気づくことで芽生える「小さな心配」

「最近見ないね」——
そのひと言に含まれているのは、好奇心ではなく“心配”の気持ち。

風邪でも引いたのかな?
引っ越したのかな?
それとも、なにか困ってることでもあるのか…。

何も知らないのに、なんとなく気になってしまう。
でも、気になるってことは、それだけ心の中にその人の存在が根づいていた証拠でもあるのかもしれません。

 私もまた、誰かに見守られていたのかもしれない

思えば、私自身も「ご近所さん」のひとり。
出かけるとき、洗濯物を干すとき、誰かの視界の中にいた時間がきっとあったはずです。

そう考えると、「最近あの人見ないね」と思われることが、自分にも起こり得る。
知らないうちに、誰かにとっての“日常の風景”の一部になっていたのかもしれないと思うと、少しだけうれしくもありました。

 名前も知らない関係なのに、ちゃんと心に残っている

私たちの日々の暮らしの中には、見えないつながりがたくさんあります。
SNSでつながることだけが人との関係ではなく、
道端ですれ違うだけの人にだって、私たちは何かを感じている。

言葉がなくても、名前を知らなくても、
「なんとなく、気になる存在」って、案外心に残っていくものなんですね。

これからは、たとえ立ち話をしなくても、目が合ったときに少しだけ丁寧に微笑んでみようかな。
そんなふうに思った日でした。

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