一人ぼっちは平気なのに、みんなに囲まれての孤独はなぜつらい?

心を整える時間

「一人ぼっちは平気だけど、みんなに囲まれての孤独は耐えがたい」


とあるドラマで耳にした、ほんの短いセリフ。なぜかその言葉が心に深く残り、思わず書き留めたくなりました。

振り返ってみると、これは私自身の感覚そのものだったからです。

 

一人の時間の心地よさ

私は一人で過ごすことを苦には感じません。むしろ、一人でいるときこそ安心できることが多いのです。


静かな部屋で本を開いたり、好きな音楽を聴いたり、ただぼんやりと窓の外を眺めたり――。

そうした時間は「孤独」ではなく、自分を整えるための「充電」や「自由」と呼びたくなるようなものです。


人に合わせなくてもいい、誰かに気を遣わなくてもいい。ただ自分のペースで呼吸できるだけで、心は軽くなっていきます。

人に囲まれているのに感じる孤独

その一方で、大勢の中にいるとき、逆に強く「孤独」を感じることがあります。


にぎやかな会話の輪に入っていても、どこか自分だけが浮いているような感覚。笑顔の中で、心の奥だけがしんと冷えているような感覚。

特に思い当たるのは、自分が暮らす地域での活動です。以前、意見の食い違いがきっかけで、それ以来お祭りや日帰り旅行など、大勢が集まる行事には参加できなくなりました。

二人や三人といった少人数なら気軽に話せるのに、人数が5人、10人と増えると一気に苦しくなります。


集団心理のようなものに飲み込まれ、自分の意見どころか存在そのものが消えてしまうような感覚になるのです。

その気持ちとどう向き合うか

だからこそ私は、一人でいるほうがずっと楽なのだと思います。


でも最近は、少し見方を変えようと思うようになりました。


「大勢に溶け込めないのは、孤独だからではなく、自分と他人のリズムが違っているだけ」
そう思えば、孤独は欠点ではなく個性のひとつになります。

同じ速さで歩けなくても、違う景色を楽しんでいるだけかもしれません。


そう考えると、一人ぼっちを否定する人に出会ったときでも

「あなたとは違うリズムで生きているだけ」

と言い返せる気持ちになれます。

孤独を恐れるよりも、自分のリズムを尊重するほうがずっと自然です。

まとめ

一人ぼっちは私にとって平気なこと。けれど、大勢の中で感じる孤独は今も耐えがたいものです。


それでも、それは「自分が弱いから」ではなく、ただ「他人と自分のリズムが違っているだけ」なのだと思います。

孤独を否定するのではなく、私なりの居場所の形として受け止めてみること。


そうやって向き合えば、孤独は逃げ場ではなく、自分らしくあるための静かな居場所に変わっていくのかもしれません。

今日のそら色

孤独は悪者じゃない。

ただ、自分のリズムを照らし出す“青い空”のような存在。

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