夜、静かになった部屋。
眠ろうとして目を閉じた瞬間、
ずいぶん前に誰かに言われた、たったひと言が、
ふいに頭の中に蘇ってきました。
「え、それって私のこと?」
「なんであんな言い方されたんだろう」
「本当はあのとき、こう言い返したかった」
もう終わったこと、もう過ぎたこと。
でも、当時は飲み込むしかなかった感情たちが、
まるで置き去りにされたまま、
夜の静けさに背中を押されて、顔を出してくる――
そんな夜が、ときどきあります。
思い出すつもりなんてなかったのに、
なぜかその夜は、眠ることさえうまくできませんでした。
この記事では、
そんな「過去の言葉にざわついた夜」にふと考えたことを、
そっと記してみようと思います。
時間が経っても、言葉の棘は残っていた
もう何年も前のこと。
言った本人はきっと覚えていないような、
たったひと言。
でも、そのときの空気や、自分の気持ちの沈み方だけは、今でもはっきり覚えているんです。
その言葉がどうしてそんなに刺さったのか、
そのときの私はどうして何も言えなかったのか。
当時は「気にしすぎかな」と自分に言い聞かせて、
「流せばいい」と思ったふりをしていたけれど、
心のどこかにはちゃんと残っていたんだな、と気づかされます。
時間が経てば自然に癒えると思っていたけど、
痛みのかたちは、人それぞれ。
年月では消せない種類の棘もあるのだと思います。
思い出すたびに心がきゅっとなるその一言。
それはまだ、自分の中で整理されずに残っていた感情の声なのかもしれません。
忘れていたわけじゃなくて、心の奥にしまい込んでいただけ
「あのときのこと、すっかり忘れてた」と思っていたのに、
ある夜ふと、まるで昨日のことのように鮮明に思い出す。
それはきっと、**忘れていたんじゃなくて、ただ“しまっていただけ”**なんですよね。
普段は忙しさに紛れて、思い出す余裕もない。
けれど、ふと静かになる夜や、心が少しだけゆるんだ瞬間に、
その言葉はそっと、引き出しの奥から出てくる。
それはきっと、まだ何かが整理しきれていないというサイン。
その言葉に感じた悲しみや、怒りや、戸惑い――
そんな感情たちが、まだちゃんと聞いてもらいたいと願っているのかもしれません。
しまい込むことで、そのときは守られていた。
でも時間が経って、少しずつその“痛み”と向き合えるようになったからこそ、
また思い出すのだと思います。
それはつらい時間でもあるけれど、
「心が癒えはじめている」証なのかもしれない――
そんなふうに思えたら、少しだけ気持ちが落ち着きました。
思い出すのは、きっとまだ癒えていないサイン
「なんで今さら、あんなことを思い出すんだろう」
そう不思議に思うことがあります。
でも、思い出すということは、まだどこかに“痛み”が残っている証なのかもしれません。
ちゃんと癒えていれば、たとえ記憶には残っていても、
心を大きく波立たせることはない。
でも、ふとした拍子に感情が揺さぶられるということは、
その傷がまだ完全には閉じていないというサイン。
それは、自分の心が弱いからではなく、
むしろ丁寧に、誠実に生きてきたからこそ、
言葉や態度の一つひとつをちゃんと受け止めてきた証でもあると思うのです。
「もう気にしないようにしよう」と無理にふたをするより、
「まだ癒えてなかったんだね」と、そっと寄り添うように
自分に声をかけてあげること。
そうすることで、
少しずつ、少しずつ、その傷は薄れていくのだと思います。
思い出すこと=まだ終わっていないこと。
だけど、それは“終わらせるための第一歩”でもある――
そんなふうにとらえてみたら、眠れなかった夜にも、少しだけ意味が見えてきました。
今の自分が、その時の自分をやさしく抱きしめてあげたい
あのとき、何も言えなかった。
悔しくても、悲しくても、ただ笑ってごまかすしかなかった。
本当は傷ついていたのに、「気にしてないふり」をするしかなかった。
でも今になって思うのです。
あのときの自分は、よくがんばっていたんだなって。
無理をして、飲み込んで、
それでも前に進もうとしていた。
言葉にならない思いを、黙って背負っていた。
だからこそ、いま思い出したときには、
「もう大丈夫だよ」って、
やさしく声をかけてあげたくなるのです。
時間がたった今の自分だからこそ、
当時の自分に手を伸ばせる。
「よく耐えたね」「傷ついて当然だったよ」って、
あの頃の自分を、今の自分がやさしく抱きしめてあげられる気がします。
誰かに理解されなくてもいい。
その場でうまく返せなくてもいい。
今、ちゃんと「自分が自分の味方になること」ができれば、
少しずつ、心は回復していくのかもしれません。
まとめ:過去の記憶に波立つ夜も、回復の途中にある時間なのかもしれない
眠ろうとした夜にふとよみがえる、昔のこと。
忘れたと思っていたのに、突然胸がざわついて、眠れなくなる。
そんな夜は、できれば来てほしくない――
そう思うけれど、でもそれはきっと、心がまだ回復の途中にある証なんだと思います。
思い出すのは、まだ癒えていないから。
でも、思い出せるということは、もう向き合う準備ができているというサインでもある。
あのとき何もできなかった自分を、
いまの自分がそっと抱きしめてあげること。
その優しいまなざしが、過去の自分にとって、
何より必要な“安心”だったのかもしれません。
過去の記憶に波立つ夜も、
それをやわらかく見つめ直せるなら、
きっと少しずつ、自分の中の“痛みの地図”が塗り替わっていく。
そんな夜があったことも、
やがて“自分を知る”という小さな灯りに変わっていくように思います。