人を信じられない自分に、そっと気づいた日

暮らしの中の気づき

人のことを信じるって、
そんなに簡単なことじゃない。

そう思うようになったのは、ここ数年のことです。
もしかしたらもっと前から気づいていたのかもしれないけれど、
ようやく言葉にできるようになったのは最近のことでした。

「私、人のこと、全然信用できないみたい」

誰か特定の人じゃなくて、人全般。
理由があるようで、ない。
ただ心の奥底で「私はきっと捨てられる」と、
どこかでずっと思っていたのかもしれません。

表面では笑えるけど、奥の扉は閉じたまま

人と話すことはできます。
ある程度、表面のやり取りもできます。

でも、自分の奥のほうは、いつもそっと閉じている。
信じたい気持ちがないわけじゃない。
だけど、心のどこかに常に「疑い」や「警戒」があって、
勝手に壁を作ってしまう。

何かひとつ失敗すれば、
今まで築いてきたものが一瞬で崩れてしまうかもしれない。
それを、実際に体験してしまったことがあるから、
余計に怖くて、信じることができなくなったんだと思います。

信じたいけど、信じられない矛盾

人に切り捨てられるのが怖いから、
最初から「捨てられても大丈夫な準備」をしてしまう。

それは、相手に対して失礼なことだと頭では分かっているのに、
なぜかやめられない。
心のどこかで「この人もいずれ…」と思ってしまう。
信頼して裏切られるくらいなら、最初から期待しないほうが楽。

でも、本当は、
そんな自分を一番悲しんでいるのも、たぶん自分です。

少しずつ、「大丈夫かも」と思えたら

私はまだ、「信じても大丈夫」と思えるような確かな出来事を
経験していません。

でも、もしかしたら—
いつか、自分の気持ちがふと緩むような、
そんな人との関わりがあるのかもしれない。

それは、劇的な何かではなく、
何気ない日々の中で少しずつ積み重なるようなやり取りかもしれない。

信じられないことを責める必要はない。
そんなふうにしか生きてこられなかった自分も、
全部ひっくるめて「今ここにいる」と思えたら、
少しだけ心がやわらぎました。

今日のそら色

信じられない自分を、まずは私自身が受け止めてあげる。
それが、信じることの一歩なのかもしれません。

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