ある日、何気なくつけたラジオから、こんな言葉が聞こえてきました。
「誰かと、つながらなくてもいいんじゃないか。」
その瞬間、なぜか少し胸がすっとしたのを覚えています。
日々の中で、知らず知らずのうちに「誰かとつながっていなきゃ」と感じていた自分。
返信が遅いと落ち着かない。
SNSでの反応がないと不安になる。
“ひとりでいること”が“ひとりぼっち”になってしまうような気がしていたのかもしれません。
でも、本当に「つながっていないといけない」のかな?
もしかしたら、自分にとって心地いい距離感を見つけることのほうが、
ずっと大切なんじゃないか――
そんな気づきから、「つながらなくてもいい」という言葉を
そっと見つめ直してみたくなりました。
「誰かとつながってないと不安」って、いつから感じるようになったんだろう
思い返すと、子どもの頃って「つながること」なんてあまり意識していなかった気がします。
放課後、ひとりで本を読んでいる時間も、ただ空を眺めている時間も、ちゃんと自分のものだった。
“誰かといないと落ち着かない”なんて感覚は、いつの間にか身についていたもののような気がします。
もしかすると、それはスマホを手にするようになってからかもしれません。
常に誰かと連絡が取れる、誰かの近況がリアルタイムで見える。
便利だけど、そのぶん「返事がこない」「既読スルーされた」といった、
“つながりの不在”に不安を感じる瞬間も増えました。
つながっていない=嫌われたのかな
ひとりでいる=取り残されてるのかも
そんなふうに、“孤独”と“自由”の境界線が、
いつの間にか自分の中で曖昧になっていたのかもしれません。
だけど本当は、「つながっていない時間」だって、
ちゃんと意味があるし、そこには自分の気持ちが自由に呼吸できる場所があるはずなんですよね。
無理に誰かとつながろうとしていた日々
今思えば、「つながること」にとらわれすぎていた時期がありました。
連絡が途切れないように、こまめに返信して、話題を探して、
「何か返さなきゃ」「仲良くしておかなくちゃ」と、
いつも気を張っていたような気がします。
たとえば、LINEの通知が来ないと落ち着かなくなったり、
SNSに何も投稿されていない友達を見て、「もしかして何かあった?」と勝手に心配したり。
そこには、自分が取り残されないようにという焦りや、
「つながっていることが、安心につながる」という思い込みがあった気がします。
でも、本当の安心って、「連絡が来ているかどうか」じゃなくて、
「つながっていなくても、自分はちゃんと大丈夫」と思える感覚の中にあるんじゃないか――
そう思い始めたのは、少しだけ距離を取ってみたときでした。
誰かと“無理につながる”ことをやめてみたら、
少しずつ、自分の本音にも耳を傾けられるようになってきたのです。
つながることは、もちろんあたたかくて大事なことだけど、
それが義務や不安から来るものだとしたら、
ほんとうの意味での“つながり”とはちがうのかもしれません。
つながらない時間がくれたもの
人とのつながりから少し距離を置いてみたとき、
最初はやっぱり不安がありました。
「これでいいのかな」「ひとりになってしまうのかな」って。
でも、思っていたほど寂しくはなかったんです。
むしろその時間が、自分自身の輪郭を少しずつはっきりさせてくれたような気がします。
たとえば――
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誰にも気を使わずに過ごす朝の静けさ
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返事を気にせず読める本の世界
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誰かと比べることなく感じる、自分の小さな感情
つながらないことで、自分の気持ちがよく見えるようになりました。
「ああ、私ってこんなことが心地いいんだな」とか、
「疲れていたんだな、ずっと気づかないふりをしてたな」とか。
誰かとつながっていると、うれしいこともたくさんあるけれど、
自分の声がかき消されてしまうこともある。
つながらない時間は、その“自分の声”とふたたび出会うための時間だったのかもしれません。
孤独とはちがう、「静かな満ち足りた時間」。
それがあることで、人とまた自然に、やさしくつながれるようになる気がします。
「つながらない」ことで、やっと自分とつながれた気がした
誰かとのつながりをいったん手放してみたとき、
はじめて「自分ってどんなふうに過ごしたいんだろう?」と考えるようになりました。
誰かの都合やペースに合わせるのではなく、
「今日はこんな気分」「これがしたい」「これは今は無理」――
そういう感覚に、ようやく耳を傾けられるようになった気がします。
不思議なことに、ひとりの時間が増えるほど、
“本当はこうしたかった”という自分の気持ちが、ちゃんと浮かび上がってくるんです。
たとえば、
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無理に誰かと話すより、静かに過ごす方が落ち着くときがある
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SNSの投稿より、自分の気持ちをノートに書き留めるほうが心が整う
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誰にも見せない時間こそが、いちばん自分らしい時間かもしれない
「つながらない」時間は、
外の世界と距離があるぶん、内側の世界にやさしく近づける時間でもあるんだと思います。
人とつながることも大切。
でも、つながらないことで、
やっと自分とちゃんと向き合えた――そんなふうに思えた日がありました。
まとめ:つながることも大事。でも、つながらないことも同じくらい大事
私たちは「人とのつながり」を大切にするように育ってきました。
そしてそれは、たしかに温かくて、支えにもなるものです。
けれど、いつの間にか「つながっていないと不安」という感覚に追われるようになっていたことに、ある日ふと気づきました。
つながることはすてきなこと。
でもそれは、無理に保ち続けるものではなく、自然と心が向かう先にあるものだと思います。
つながらない時間があることで、
自分の気持ちに耳を澄ませることができる。
ひとりの空間で、自分と話すことができる。
そして、自分をちゃんと満たすことができたとき、
はじめて誰かとやさしくつながる準備ができるのかもしれません。
つながっていても、つながっていなくても。
どちらでもいい。
その日の自分にとって心地よい方を選べたなら、
それが一番自然で、やさしい過ごし方なのだと思います。