やろうと思っていたことができなかった日。
うまく言葉にできなくて沈黙してしまった会話。
小さなミスや、自分なりにこだわっていたことが崩れたとき、
つい「はぁ…」とため息が出て、そのあとにぽつりと出てきた言葉。
「…まぁいっか。」
その瞬間、どこかで「逃げたのかもしれない」と思ってしまう自分がいて、
なんとなく情けないような、後ろめたいような気持ちになることがありました。
でも、よくよく考えてみると――
「まぁいっか」は、自分を守るためのブレーキだったり、
心の深呼吸のような言葉だったのかもしれない。
この記事では、そんな「まぁいっか」というつぶやきが持つ
前向きな“手放し方”としての意味について、自分なりに綴ってみたいと思います。
「まぁいっか」と思えることは、心が限界になる前の“休憩”
私たちは日々の中で、知らず知らずのうちにたくさんのことを気にかけています。
仕事、人間関係、家のこと、やるべきタスク、自分の感情――
「ちゃんとしなきゃ」「こうあるべき」と、自分で自分を追い込んでしまうこともあります。
でも、そんな中でふと「まぁいっか」とつぶやけたとき。
それは決して“あきらめ”や“投げ出し”ではなくて、
自分の心が限界を感じる前に、少し力を抜こうとしているサインかもしれません。
たとえば――
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完璧に掃除できなかった
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返信がちょっと遅れてしまった
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朝ごはんを抜いてしまった
そんなとき、「まぁいっか」と言えることで、必要以上に自分を責めずに済むことがあります。
逆に、「ちゃんとしなきゃ」を積み重ねすぎると、
ほんの少しのミスやブレでも、自分を強く責めてしまいがちになります。
だからこそ「まぁいっか」は、心がこれ以上がんばりすぎないための休憩の合図なんだと思います。
“無理に進まず、ちょっと座って水を飲む”ような、そんな感覚。
休むことをゆるす。
完璧じゃなくても、自分をそのままにしておく。
「まぁいっか」という言葉には、自分へのやさしさが詰まっている気がします。
手放すことで、はじめて見えてくることもある
「まぁいっか」と言うと、何かをあきらめたように思われることがあります。
でも実際には、「いったん手放す」という選択肢をとっただけのこと。
そして不思議なことに、手放したあとにしか見えてこないものがあるのだと、私は最近感じています。
たとえば――
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思い通りに進まなかった計画を、「まぁいっか」と横に置いてみたら、別の道が開けた
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モヤモヤしていた気持ちを無理に整理せず、「もう考えるのやめよう」と決めたら、翌朝ふっと気持ちが軽くなっていた
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どうしてもうまく話せなかった自分を責めるのをやめてみたら、その沈黙が相手との距離を自然に縮めていた
私たちはつい、「握りしめていればコントロールできる」と思いがちです。
でも実際には、力を込めすぎているときほど、視野が狭くなっていることが多い。
「まぁいっか」と手をゆるめてみることで、
見えていなかった景色や感情が、ふわっと浮かび上がってくることがあります。
それは決して後ろ向きなことではなくて、
本当に必要なものと向き合うために、余白をつくる行為なのだと思います。
何かを手放したからこそ、
心にスペースができて、
そこにやさしい風が通り抜ける――
そんな日があることも、
「まぁいっか」と言えた自分が、ちゃんとつくってくれているのかもしれません。
「全部ちゃんとやらなきゃ」に縛られすぎないために
「ちゃんとしなきゃ」「ちゃんとやらなきゃ」――
この言葉、いつからか自分の中に根づいてしまっていたような気がします。
学校でも、職場でも、家庭でも、真面目でいることが求められた時間が長かったせいか、
気がつくと「全部きちんとやらないとダメ」と自分に言い聞かせてしまっていることがあります。
でも、実際の暮らしは“全部ちゃんと”できるほどシンプルじゃない。
体調や気分に左右されたり、急な用事が入ったり、
何より「心がついてこない」日だってある。
そんなとき、「まぁいっか」とつぶやけるかどうかが、
自分を無理から守れるかどうかの分かれ道になるように思います。
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洗濯物が一日たまっていても、まぁいっか
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メールの返信が夜になっても、まぁいっか
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ちょっと機嫌が悪いまま話してしまっても、まぁいっか
そうやって、“完璧じゃなくても大丈夫”と自分に言ってあげることで、
「ちゃんと」の呪縛から少しずつ解放されていけるのではないでしょうか。
もちろん、真面目に取り組む姿勢も大事です。
でもそれは、「いつでも完璧でなきゃいけない」というプレッシャーとは違うもの。
「まぁいっか」は、緊張し続けた心をやさしくほどく言葉です。
それを言える自分がいるということは、
もうすでに「自分にとってのちょうどいい距離感」を見つけ始めている証かもしれません。
「まぁいっか」がくれた、少しだけやさしい気持ち
「まぁいっか」と口にしたとき、
それまでピンと張っていた心が、少しだけゆるんだような気がしました。
自分にダメ出しをし続けていた頭の中の声が、
その一言で、ようやく静かになってくれたような気もします。
完璧じゃなくていい。
うまくいかない日があってもいい。
ちゃんとできないことを、許せないときもあるけど、
それでも「まぁいっか」と言ってあげられるときって、
自分を責めずに、そのまま受け入れようとしている証拠なんだと思います。
私にとって、「まぁいっか」は、
やさしさを誰かに向ける前に、まず自分に向けるための言葉になっています。
それが言えた日は、
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ほんの少し、呼吸が深くなったり
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誰かにやさしくなれたり
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明日がちょっと楽しみになったりする
たった一言なのに、
「まぁいっか」がくれるのは、“少しだけやさしくなれた自分”との再会かもしれません。
そしてそのやさしさは、
また次の「しんどい日」に、自分をそっと守ってくれる力にもなるのだと思います。
まとめ:ときには「がんばらない」を選ぶことも、自分を守る前向きな選択
「まぁいっか」という言葉には、逃げや妥協のようなイメージがあるかもしれません。
でもそれは、自分を責めすぎないための、やさしいブレーキなのだと思います。
完璧じゃなくてもいい。
すべてを抱えなくてもいい。
ときには、「がんばらない」を選ぶことが、自分を守るいちばん健やかな選択だったりする。
何かをあきらめるのではなく、
一度手放して、また持てそうなときに拾えばいい。
そう思えるようになると、心の中に少し余白が生まれます。
そしてその余白が、
次の日の自分を救ってくれることもある。
「まぁいっか」と言えた今日が、
自分にとってただの“妥協の日”ではなく、“やさしくなれた日”だったと思えたなら、
それだけで十分、意味のある一日だったのだと思います。