勝っても負けても、大切なのは“自分が納得できるか”だった

日々の気づき

「勝ちたい」と思う気持ちは、誰の中にも少なからずあると思います。
スポーツでも、仕事でも、人間関係でも――
何かに取り組むとき、「どうせなら勝ちたい」「評価されたい」と感じるのは自然なこと。

でもいつの間にか、「勝たなきゃ意味がない」「負けたら価値がない」と、
勝ち負けのモノサシで自分を測る癖がついてしまっていたことに気づきました。

相手と比べて一喜一憂したり、
誰かに勝ったときだけ安心したり、
逆に負けたときに、必要以上に自分を責めたり。

そんな自分が、なんだかちょっと苦しく感じたある日、
「そもそも勝ち負けって、そんなに大事なんだろうか?」とふと思ったのです。

この記事では、そんな問いから始まった
「勝ち負けにこだわりすぎない」ための気持ちの持ち方について、
わたしなりの視点でゆっくり綴っていきたいと思います。

「勝つこと」が正解だと思っていたころ

子どもの頃から、「勝つこと」はすごいことだと思っていました。
テストで1位になること、運動会でゴールすること、コンテストで選ばれること。
そういう“わかりやすい結果”が、がんばった証であり、周りに認められることでもありました。

だから、「負ける」ことがどこか恥ずかしくて、悔しくて、
いつも「次こそは勝ちたい」「もっと上を目指さなきゃ」と思っていた気がします。

大人になってからもそれは変わらず、
仕事でも、SNSでも、人づきあいの中でも――
気づけば「比べて」「順位をつけて」「どちらが勝ったか」で
物事を判断するクセが、しみついていました。

でも同時に、どこかで疲れていたんです。
勝つたびに嬉しいはずなのに、すぐに不安が顔を出す。
「次はどうする?」「もっと上を目指さなきゃ」「今度は負けたらどうしよう」って。

その繰り返しの中で、ふと感じたんです。
「勝つこと」って、ほんとうに“正解”なんだろうか?と。

自分の中で何かが変わり始めたのは、
勝ち負けの結果よりも、その過程や意味に心が動いたときだった気がします。

でも、いつからか“勝っても満たされない”と感じていた

勝てば嬉しい、負ければ悔しい――
そんなシンプルな感情のはずなのに、
いつしか「勝っても心が満たされない」瞬間が増えていきました。

達成感はあるけど、なんだか一瞬だけ。
「やった!」のあとに、すぐ「まだまだ」「もっと上がある」と思ってしまう。
結果が出ても、ほめられても、なぜか“これでいいのかな”という空虚さが残る。

それはきっと、「勝つこと」が目的になってしまっていたからかもしれません。

本当は、
・どんなふうに取り組んだか
・自分が納得できるか
・楽しかったか、心が動いたか
そういうことのほうが、ずっと大事だったはずなのに、
結果という“外側の評価”ばかりを見つめていたことで、
自分の内側の満足感がどこか遠くに行ってしまっていたんだと思います。

勝つことは、努力の証。
でも、“勝つことでしか自分を認められない”状態は、やっぱりどこか苦しい。

そこに気づいたとき、
「勝ち負けだけで物事を見ない視点」が少しずつ自分の中に芽生えはじめました。

他人と比べるより、自分にとっての“納得”を大事にしたい

誰かと比べることって、ほんの小さなところから始まります。

「あの人はもっと早く終わらせていたな」
「同じ年であれだけの成果を出してるんだ」
「あの人より評価されたい」――

気づけば、自分の価値を“他人との相対評価”で測るようになっていて、
そのたびに焦ったり、不安になったり、ちょっと落ち込んだり。

でも、ある日ふと思ったんです。

「あの人と比べて勝ったかどうか」じゃなくて、
“自分が納得できているかどうか”のほうがずっと大切なんじゃないか
って。

たとえ小さなことでも、

  • 今の自分にできるベストだった

  • 丁寧に取り組めた

  • 自分らしく頑張れた
    そう思えることのほうが、心が静かに満たされていく感覚がある。

他人に勝つためじゃなく、
昨日の自分より少しでも納得できる方向へ進むために、
日々を重ねていく。

そうやって「自分の基準」を持てるようになると、
勝ち負けに振り回されることが、ほんの少し減ってきた気がします。

「自分にとっての納得」。
それを大事にできる時間こそ、自分らしく生きるということなのかもしれません。

「勝ち」じゃなく「意味」に目を向けてみるということ

勝ち負けって、たしかに分かりやすい指標です。
誰が上か、どちらが早いか、どっちが成果を出したか。
数値や順位で比較すれば、一目で結果が見える。

でも、それだけを追いかけていると、
大切なものを見落としてしまうことがあると感じます。

たとえば、勝てなかったけれど、
・初めて心から楽しめた
・前よりずっと落ち着いて臨めた
・自分のペースでやりきれた
そんな経験には、**数字では測れない「意味」**がちゃんとある。

そしてその意味は、時間が経ってからじわじわと自分を支えてくれることもあります。

「意味のある時間だった」と思えるかどうか。
それが、勝ったか負けたかよりも、
ずっと心を強くしてくれることだってあるんですよね。

だから最近は、
「勝ったかどうか」ではなく「何を感じたか」「何が残ったか」に目を向けるようにしています。

それは小さなことかもしれないけど、
自分の中で「大事だったな」と思える体験は、
心を豊かにする確かな記憶になる。

意味を見つめることは、
静かだけれど、どこか深く、あたたかさを感じます。

まとめ:勝ち負けを超えて、自分らしい歩幅で進む日々へ

「勝ちたい」「負けたくない」――
その気持ちは決して悪いものではなくて、
何かに向かって頑張る力をくれる、とても自然な感情だと思います。

でも、その感情にとらわれすぎて、
“勝たなければ意味がない”とか、“負けたら価値がない”と思ってしまうと、
途端に心がギスギスしてしまうことがあります。

結果ばかりを見て、過程や想いを置き去りにしてしまったり、
他人との比較で、自分の気持ちを見失ったり。

そんなときは、すこし立ち止まってみる。
勝ち負けよりも、「自分にとって納得できたか?」
「どんな意味を感じられたか?」
そんな問いかけをしてみるだけで、
心の景色がふっと変わることがあります。

人生は、競争じゃなくて旅。
ゴールの速さや順位よりも、自分の歩幅で進めることのほうが、ずっと大事なのかもしれません。

勝つことを目指す日も、意味を感じる日も、どちらもあっていい。
でもその中で、自分らしいバランスを見つけられたなら、
きっともっと、自分に優しくなれる気がしています。

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